諏訪マタニティークリニックは、患者さんにとって身近な産婦人科施設でありたいーそんな願いを込め、昭和51年に病床数11床の産科婦人科クリニックとして開院しました。
その後、不妊治療を求めて来院される患者さんがたにより最先端の治療を提供できるよう、不妊治療施設「諏訪リプロダクションセンター」を併設、33床の産科・婦人科・小児科病院へとなりました。
当院で産まれた赤ちゃんは1万5千人を超え、体外受精件数も1万件を超えました。
周産期医療(妊娠・出産・育児)・不妊治療・手術・教育研究を柱と考え「医療は患者さんのためにある」と、患者さんと共にあるより良い医療を常に目指しています。
理念
1.目の前の患者さんの立場に立った医療施設であること
2.清潔で信頼される医療施設であること
3.常に10年先を見詰めた医療施設であること
当初5人のスタッフと11床の産婦人科医院としてスタートし、現在は4人の医師と110余名のスタッフを抱える33床の産科・婦人科・小児科病院として地域医療に関わっています。
開設以来、目の前の患者さんのお役に立ちたいとスタッフ一同真面目に医療行為を行なってきました。ここで改めて当病院理念についてお話しいたします。
1.について
私は医学部時代、医者は特別な人間、選ばれた人間というような考え方をインプットされた時期がありました。しかし、後になって友人から「元を質せば只の人」と言われた通り、私はたまたま医療の世界に入っただけで、決して特別な人間ではありません。ただ、もし特別であるとするならば、夜中であろうと、ずっと食事をしていなくても急患が来院すれば診察し、人の命をあずかり、人が嫌がる危険な(感染を伴う)医療にも関わるという、特別な職種の人かも知れません。そのような仕事を全うするからこそ人から医師をはじめとする医療者は尊敬されてきたのでしょう。
「患者さんのために医療があるのであって、医療のために患者さんがいるのではない」
常に患者さんの気持ちや症状を理解しながら、どうしたらより良い医療を提供できるかを考え、患者さんに寄り添った医療施設でありたいと思います。
2.について
医療施設は常に清潔であること、これは当たり前のようでいて、なかなか徹底されていないことがあります。当施設では開設以来、掃除とメンテナンスにかなり気を遣ってきました。スリッパに関しても、患者さんが一番触れる機会が多いため洗濯のできるものを選び、消毒も気を付けておこなっています。
その他、患者さんとの応対、医療内容についても、常に信頼されるに値する施設であるべく努力して参りました。しかし、そうは言ってもまだまだ不充分な面があろうかと思います。スタッフ一同これからも弛(たゆ)まぬ努力をして行く所存です。
3.について
施設設備に関しては当初10年先を考えて造り、その後、現在に至までにも幾度も増改築し続けています。スタッフも、まず現在の医療をしっかりと把握し、10年先の医療を想定して勉強と研究、そして創意・工夫を弛(たゆ)まずやり続けることを常に行なって来ました。なぜならば、最先端のより良い医療を患者さんにお届けすることが、医療者としての使命と考え、また、そうあることに誇りを持ち続けたいというのが、私を始めスタッフ一同の望みであるのです。システムに関しては、いち早く様々なことを取り入れてきました。院内ポケベルの導入その後院内PHSの導入、4Dの超音波機器やマンモグラフィーの導入、等々。また、医療内容に関しては、三拍子自立分娩法、SMC(自己乳房管理)方式等の開発、普及。また体外受精施設–諏訪リプロダクションセンター(吉川文彦所長)の開設と、様々な生殖医療への挑戦。清水宇宙生理学研究所(清水強所長)の開設。0歳児保育の出来る母乳保育士の独自養成、等。数えれば枚挙に遑(いとま)が無い数々のことを行ない続け、今も10年先を想定しながらより良い医療を提供できるために歩んでおります。
昭和51年8月1日のお舟祭りの日に、正に0からスタートした当病院は、これらの理念の下、これからも更にその内容を深めながら邁進し、患者さんのお役に立つ施設でありたいと思っております。
病院沿革
<歴史>
昭和51年 | 8月 | 諏訪マタニティークリニック開院(11床) |
昭和54年 | 10月 | 東病棟完成(16床) |
11月 | 乳房外来開設 | |
昭和61年 | 10月 | 南病棟完成(19床) |
昭和63年 | 4月 | SMC方式研修センター併設 |
平成元年 | 7月 | 医療法人登誠会設立 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニックとなる |
平成5年 | 4月 | 助産師卒後研修センター併設 |
11月 | 助産師外来併設 | |
平成8年 | 7月 | 本館6階建完成 |
平成9年 | 診療所から産科・婦人科・小児科病院へ組織変更(33床) 諏訪リプロダクションセンター(吉川文彦所長)併設 | |
平成13年 | 新南館完成 | |
平成14年 | タウンホテル春宮 オープン | |
平成15年 | (2003) | 清水宇宙生理学研究所(清水強所長)併設 |
現在に至る。
ドクタープロフィール

院長 根津 八紘(Yahiro Netsu)
<略歴> 更に詳しくはこちら
1942年 5月 長野県松本市生まれ
1968年 信州大学医学部卒
1968年 琉球政府(現沖縄県)立中部病院ハワイ大学インターン・レジデントコース履修
1971年 沖縄県コザ市(現沖縄市)上村病院勤務
1973年 信州大学医学部産婦人科学教室助手
1976年 下諏訪町に諏訪マタニティークリニック開業
1986年 SMC(Self-Mamma Control: 自己乳房管理)方式確立
1986年 減胎手術施行(日本初、世界第2番目)
1998年 非配偶者間体外受精実施、公表(日本初)
2001年 代理出産公表(日本初)
2006年 着床前診断公表(日本で2番目)
<所属学会>
日本母乳哺育学会 日本産科婦人科学会 日本産婦人科医会 日本形成外科学会
日本受精着床学会 日本母性衛生学会 日本生殖医学学会 日本医学教育学会
<ひとこと>
悩む患者さんがいる限り、私は続けます。

副院長/諏訪リプロダクションセンター長 吉川 文彦(Fumihiko Yoshikawa)
<略歴>
1958年 10月 長野県生まれ
信州大学医学部卒
同大学院研究科
諏訪赤十字病院
豊科日赤病院
1996年 4月 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック副院長
1996年 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック附属諏訪リプロダクションセンター所長に就任
<ひとこと>
不妊症の治療に力を入れ、不妊患者さんの最終医療施設を目指しています。

上條 かほり(Kaori Kamijo)/根津 かほり(Kaori Netsu)
<略歴>
1972年 8月 沖縄県コザ市(現沖縄市)生まれ
1999年 信州大学医学部卒
1999年 山梨医科大学(現山梨大学医学部)産婦人科学講座入局
2000年 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック勤務
<所属学会、資格等>
日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会、日本更年期医学会、日本女性心身医学会
検診マンモグラフィ読影認定医師
乳がん検診超音波 実施・判定医師
<ひとこと>
一般(産科小児科婦人科)外来、妊婦健診にあたっております。
すこしでも患者さんの悩みを減らしてさし上げることができれば、と日々取組んでおります。目下、三人の子の母として子育て奮闘中でもあります。

附属清水宇宙生理学研究所所長 清水 強(Tsuyoshi Shimizu)
福島県立医科大学名誉教授
医学博士
宇宙航空医学認定医
<略歴>
1938年 2月 長野県上田市生まれ
1963年 信州大学医学部卒
1963年 京都大学医学部附属病院にてインターン
1964年 信州大学大学院入学。生理学専攻。循環生理学の研究を行う。
1968年 「血圧の変動における心臓の役割に関する研究」で医学博士を授与
1968年 大学院修了
1968年 渡米。米国イリノイ大学生理学生物物理学教室入局。
消化管ガスの発生機序、特に大豆食との関係の研究を行なう。
この間宇宙携行食と出会い研究。
1971年 帰国。信州大学医学部生理学講座助手に就任
後嘱託講師から専任講師に
1974年 名古屋–現藤田保健衛生大学医学部生理学教室助教授に就任
1981年 信州大学医学部生理学助教授
1983年 11月 福島県立医科大学医学部第1生理学講座教授に就任。
約20年間勤める
2003年 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック附属清水宇宙生理学研究所所長に就任
<所属学会>
日本生理学会、日本病態生理学会、日本臨床生理学会、日本ショック学会、日本医学教育学会、日本宇宙生物化学会、日本宇宙航空環境医学会、日本マイクログラビティ応用学会、神経組織の成長・再生・移植研究会、日本自律神経学会、日本体力医学会、福島医学会、信州医学会、The International Society for Gravitational Physiology、他
■詳しくはこちら
日向 雅水(Masami Hyuga)
<略歴>
2009年 順天堂大学医学部卒
信州大学附属病院
2011年 11月 医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック勤務